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Last updated: 2007.12.03

誤解だらけの国内排出権取引制度(その2)

いよいよお尻に火がついてきた京都議定書目標達成計画ですが,その中間報告素案 をみるかぎり,2008年まであと5ヶ月をきっているにもかかわらず,あいかわらず数年前と変わらない議論をしているようにみえます(いままでの国内政策措置が所期のパフォーマンスを上げられなかったという事実への分析/対応や,ショートしたときのリスクヘッジの手段はどのように考えられているのでしょう?).

その中でも,とくに『キャップ・アンド・トレード型排出権取引制度』に対する誤解や認識違いが,まだ根強く残っています.正しい理解の下に,その導入の可否を議論するのならいいのですが... したがって,今年の5月に研究者の誤解に対する指摘を行ったことに続いて,今回もこの制度の議論においてみられる誤解に関して考えてみましょう.

目達計画の中間報告素案の「最終報告に向けて検討すべき事項」には,国内排出量取引と環境税に関する記述がなされています.その前者に対して「導入は不適当」としている委員意見のそれぞれがどの程度妥当性を持っているか?を考えてみよう.みなさんも,ご自分で一度,バイアスをかけずに考えてみてください.

   (1) 排出枠の割当が前提となる強度の規制的措置である

ここでの問題を整理してみると,次の点が考えられます.

ひとつは,「政府による規制という手法において,守らなければならない排出枠(目標値の設定)」を設定すべきでない...という意見です.規制的措置であることが悪いかどうかと言う点は,一般論としては,喫緊の課題であるという認識が強ければ規制的な措置,そうでない場合はより緩やかな対策がとられるということでしょう.温暖化問題あるいは京都議定書目標達成という点がまだそれほど喫緊の課題ではない,という認識でしたら,規制的措置に反対することは正しい主張です.これは規制「レベル」以前の温暖化問題の認識論としての問題だと思われます.

一方で,自主的であってもきちんと守るのだから,わざわざ規制にすべきではない,という主張もあるかもしれません.どうせ守るならどちらでも同じ...という考え方もあり得ますが,将来の規制強化のスピードを抑えるためには自主的であった方がいい...という考えがその裏にあるのなら,やはり温暖化や京都議定書目標遵守問題の認識論の違いといえるでしょうか.いざとなったら守らなくても許されるという余地を残しておきたい...という考えがその裏にはないでしょうか?

実はもっと重要な点は,ここでは「取引の有無」を無視した認識しかされていないという点です.キャップ・アンド・トレード型排出権取引制度は,たしかに個々の規制対象に対して「目標」は設定されますが,「実排出量」をその中に抑えなければならない,と要求しているわけではありません.極端な言い方をするなら,排出権を購入しさえすれば,どれだけでも排出できる制度 であり,その意味で企業経営上,きわめて柔軟性の高い制度なのです.

取引のできない目標のみが設定された制度であるなら,たしかに統制経済的という側面はあるでしょうが,「取引」ができることで,逆に自由度がかなり高い制度となるわけですね.

   (2) 排出枠の公平な割当が困難

割当方法あるいは負担の分担というような公平性の点は,排出権取引制度固有の問題ではなく,どのような政策措置を導入するときにでも,考慮することが必要です.さらには,これは経団連の自主行動計画のようなアプローチにおいても同様ですね.

困難さは,主語を誰に置くか?によって意味が異なります.「政治家」であるなら,彼らの役割はまさに利益や負担の「再配分」にあるわけで,他の多くの問題と同様に何らかの判断を下すでしょう.「行政」という観点からコストを低減するもっとも安易な方法は,たとえば(総枠だけを決めて,その中での排出目標の分配を)経団連に丸投げすることです.経団連や各業界としてもたまったものではない...でしょうね.ですが,2010年までしか想定されていない自主行動計画の「次のステップ」を踏み出すつもりなら,それがいずれにせよ,必要となるでしょう.経団連はそれを望んでいるのでしょうか?

公平性には,「結果の公平性」と「意思決定のプロセスの公平性」があると思います.わたし個人としては,後者の方が重要であるような気がしています.きちんとすべてのステークホルダーが,その公平性あるいは負荷分担を決めるプロセスに参加して,(もちろん全員が同意することはむつかしいでしょうけど)参加することで妥協点をさがすことができるわけですね.それが民主的なプロセスだと思っています.米国における好例 をご参照下さい.

   (3) 産業の海外流出を招く

これは「比較対象」を,「GHG削減をまったくする必要がない社会」としているようですね.本来は,ある水準まで排出を抑制する必要性があるとしたときに,どのような政策手法がもっとも産業の海外流出が少なくて済むか?という点を論じるべきでしょう.ですので,政策措置間での比較をすべき問題です(これはすべての点に関してそうであるのですが,しばしば無視されていて,好き嫌いの問題となっています).

排出権取引制度では,自社内で削減するという以外に,社外での(より低コストな)削減をも使うことができる制度ですから,あるレベルを達成するためには,かなり(理想的条件ではもっとも)低コストで済むはずです.言い換えると,他の政策手法よりも産業の海外流出は少なくなるはずですね.

   (4) EU ETSは実質的な削減につながっていない

これはおそらく,EU ETS第1フェーズで,目標が緩く設定されていることがわかって,排出権価格が暴落している状況を指しているのでしょう.ただ,これは排出権取引制度の欠点を挙げているのでしょうか?日本で行う場合には,ちゃんと(実質的な削減につながる)厳しい全体枠の設定がなされるのであれば何の問題もないはずです.

排出権取引制度には制度的に本質的欠陥があって,厳しい目標設定ができない...ということはありません.

排出権の「市場」において,ひとつの排出権が何度も売買されることを,実質的な削減でないと指摘しているのでしたら,それは別の問題です.削減は物理的な削減であって,排出権取引制度においては「排出総枠」でのみ決定されるものです.

   (5) のびの著しい業務・家庭部門対策として有効性に欠ける

これが,産業部門に対する排出権取引制度導入にあたっての「欠点」を指摘しているのでしょうか?まったく別の観点ですね.業務・民生部門には別の政策措置を導入すればいいわけです.

   (6) 短期的な目標設定では企業の追加的な投資ならびに長期的な技術開発に対してインセンティブが働かない

これは排出権取引制度の問題ではなく,政策の方向性や方法を,いつまでたっても明確化できない日本政府のスタンスの問題にほかならないでしょう.

EUのすばらしい点は,将来,どのような社会になっていくかを,できるだけ早い段階から明確化していることです(たとえば京都議定書発効前からEU ETSの実施を明確化したり,2013年以降の国際制度にかかわらずEU ETSを継続・強化することなど).2020年20%削減というようなEUの主張が実際には国際的にどうなるかまだ決まっていませんが,少なくとも,産業界に対して,EUはこれを主張していくという明確なメッセージがでています.

企業にとって怖いのは,規制が導入されるかどうか?というよりも,将来がいつまでたっても不確定なことです(とくに競争相手の国がそれを明確にしている場合).不透明な中では,なにかを行う場合,つねにそのリスクを考える必要があります.一方で,明確になっている場合,さまざまな投資などを行っていくことが容易となるわけですね.

ですので,排出権取引制度においても他のどのような政策措置においても,長期的な方向性(排出権取引制度の場合には排出総枠)がどのように設定されるか?を,できるだけ早い段階において明確にすることは,技術開発などの視点から非常に重要となります(日本に一番欠けている点ですね).

一方で,排出権取引制度はできるだけ低コストで排出量を減らしていこうという制度です.排出削減の分業ですね.言い換えると,技術開発をせずにすむ...という傾向があるのは確かでしょう.技術の「普及」には有効ですが,技術「開発」を誘引する力は小さいでしょう.

ですが,技術開発や革新に関しては,そのための政策措置を充てればいいわけです.排出権取引制度に限らず,どんな政策措置にも特性がありますので,その得手とする分野でがんばってもらって,不得手とする分野は別の措置を補完する形で導入すればいいわけです.政策措置のポートフォリオをどう組むか?という点です.すべての点をカバーできないから,その政策措置は採用するに値しない...という論理は成り立ちません(上記の民生部門をカバーできないという論理も同じことですね).技術開発に関しては,そこにインセンティブがきちんと働き,それをサポートできる体制がどのようなものか?という議論を行えばよいわけで,それをしていないならば,その点が指摘されるべきです.

まだ排出権取引制度には,いろいろな誤解があるようです.賛成するとしても反対するとしても,正確な理解と論理的な判断に基づいた議論を行ってもらいたいものです.最初から結論ありき...という姿勢では前進が見込めないでしょう.

いちど,いろんな政策措置をテーブルに並べて,それぞれの性格や特徴をバイアスをかけずに論理的に議論し,比較してみたらいかがでしょうか?

[この文章は,ナットソースジャパンレター 2007年 9月号に寄稿したものに,少し変更を加えたものです]



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