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Last updated: 2009.09.05

夏休みの宿題としてのCO2削減

子供の夏休みももう終盤になろうとしています.

自由研究や宿題が山積しているお子さんも多いでしょう.いまになってあわててなんとか仕上げようとしている子供も多いでしょう.一方で,ほとんどあきらめている豪傑?もいるでしょう.

みなさんは,親の立場でどう言うでしょうか?

「最初にすべきことはわかっていたでしょう?どうして計画通りやってこなかったの?」

と言って,きちんとやらせようとする人が多いでしょう.まさか「いまになったら仕方がない.なかったことにしよう」とルールをあとから変えようとする人はいないでしょうね.

「△ちゃんは,ちゃんとやっているのに,どうして...」なんてことを言えば,子供も反発して「△ちゃんは...」と,違いを強調しようとします.目に浮かぶようですね.

さて,話を地球温暖化問題対策にうつしましょう.

1997年末に京都議定書が採択されました.日本もときの首相の判断で,マイナス6%の数値目標を受け入れたわけです.そのときにすでにやるべきこと(宿題)は決まっていたわけですね.

それからきちんと毎日,計画に従って(計画がうまくいかなかったら軌道修正しながら)宿題をこなしていくべきだったわけです.

ところが,ETS(排出権取引制度)などをいちはやく導入してきたEUちゃんとは違って,結局宿題の多くは積み残されたわけです.「EUとは事情が違う...」,「1990年水準という考え方はおかしい」ということを「後から」言い出したりする(あるいはいつまでも主張する)ことは,いかがなものでしょうか?

主張すべき点は,京都議定書交渉の時に主張すべきだったわけです.いったん決まったルールには従わなければなりません.ちなみに,わたしは京都会議の前に,「1973年を基準年に」と主張していました.どの先進国も省エネを始めた年が第一次石油危機の1973年だからです.日本政府にもきちんとインプットしましたが,日本政府提案にすら取り上げられませんでした.

子供がだだをこね,「ちゃらにして最初からやり直してほしい」というような(そう受け取られるような)ことを主張するということは,たとえそれが「国益にかなう」ことであったとしても,かなり恥ずかしいことだと思います.

CO2の問題は,結局,誰かが率先してやっていかないと進んでいきません.しかしながら,大幅な削減にはそれなりのコスト負担がついてくるわけです.日本は,京都会議の時の豪州のように,自己主張だけをして,結果として(相対的に)国益にかなうことを目指す交渉を行うのでしょうか?

わたしは,このあたりの「価値判断」は,「矜持」すなわち,胸を張れるか?というような問題かと思っています.経済価値や,国際社会のバランス感覚の問題よりも,「誇り」の問題として考えてみてはいかがでしょうか?日本のスタンスに胸を張れるでしょうか?

わたしは,PEARというソーシャルベンチャーを経営していることもあり,社会的な活動をしている人に興味があります(役所の人も本来はそうですね).彼らは,お金は持っていませんが,自分のしていることに「誇り」があります.誇りがあるからこそやっているのです.

子供の時にまなんだ「お金より大切なさまざまなもの」は,どうして大人の社会では,軽視されてしまうのでしょうか?



[この文章は,ナットソースジャパンレター 2009年 9月号に寄稿したものに,少し変更を加えたものです]



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